生まれつき左耳が聞こえない鈴木さん。総合商社で働いています。
鈴木さんは、片耳難聴とどのように付き合い、仕事をされているのでしょうか。
目次
- 片耳難聴を伝えること
「”弱さ”を見せられることは”強さ”」 - 片耳難聴と仕事
「コミュニケーションの本質は、どれだけ本気で相手と向き合えるか」 - 片耳難聴と普段の生活
「”自分でもここまで出来るんだ” という自信に」
お話を伺った方のプロフィール
- 名前:鈴木 北斗
- 年代/性別:27歳/男
- 職業:総合商社勤務
- 聴力の程度:左耳が聞こえない
- 原因/時期:不明/先天性
- 治療経験:小学6年生の時
- 補聴器機の使用:なし
- 自己開示の有無:必要に応じて
- 片耳難聴の受けとめ:時折ストレスを感じるが、生まれつきの為当たり前な感覚

片耳難聴を伝えること
「”弱さ”を見せられることは”強さ”」
まず、今回のインタビューを前向きに受けて頂いたのはどういったお気持ちからだったのかお聞きしてもいいですか。
同じ大学に難聴の先輩が居て、ご自身のことを積極的に社会に対して発信していました。その姿を見ているうちに、「自身の経験を社会に発信することは意義あることかもしれない」と思うようになり、他人に伝えることに前向きになりました。
これまでは片耳難聴について、同情されたり、気を遣われたりするのが嫌で強がってしまい、自己開示にネガティブな姿勢でした。また、一般的に不幸とされる類の話も、相手の気を悪くするんじゃないかと言いづらさを感じていました。
でも3年程前、当時在学中だった大学でインタビューを受ける機会があり、それまであまり人に伝えてこなかった自身の過去の経験を話したところ、記事を読んでくれた友人や知人が「知れて良かった」「教えてくれてありがとう」など、ポジティブな反応を示してくれたんです。そういった周囲の人からの反応を得て、片耳難聴のことも、貴重な経験や自身の一部として人に伝えていけたらと思いました。
自身の経験を通じて少しでも何か社会に貢献が出来ないか、また、他者に「”弱さ”を見せられることは”強さ”」かなと考えられる様になり、今回も自身の障がいのことを前向きに話そうと思いました。
周りの人にどう受け取って貰えるか、というのは大事ですよね。
成長して大人になるにつれ「目に見えないことこそ、言葉で伝えることが大切」と気付く場面が多くなり、自己開示に対して抵抗がなくなってきました。
自身の経験を伝えていくことで、少しでも多くの人が相手の気持ちや立場になって物事を捉え、相互理解や尊重のあるより良い社会、「共生社会」とは何かを考える機会になれば嬉しいです。
伝えられるのは、ご自身の中で片耳難聴についても受けとめられているからなのだろうと想像します。なにかきっかけとなった体験はありますか。
子どもの頃、母が僕の学校の通信簿に「片耳が聞こえないからこそ、人一倍に話を聞こうとする姿勢が見られる」と書いてくれました。
その後、母は脳卒中で倒れ、一命を取り留めたものの、後遺症で半身麻痺が残ってしまいました。しかしその時も、母は「何も病気や障がいそのものが不幸なことではなくて、その事実に悲観し屈してしまうことが不幸なの」と、身を以てそのマインドセットを教えてくれました。
片耳難聴ゆえに不便に感じることも多く、辛い時もありますが、それでも母の様に見方を変えて物事を捉え直せば、つまり「リフレーミング」すれば、悪いことばかりではないと気づき、上手く付き合うことができるようになりました。
親御さんは、片耳難聴についてあまりネガティブな感じはなかったのですね。
はい、基本的には。ただ、よく覚えているエピソードがあります。小学生の時、リスニングテストで音声が上手く聞き取れず、帰宅後それが悔しくて母に不満をぶつけてしまったことがありました。
そのとき、母から「両耳ちゃんと聞こえる身体に産んであげられなくてごめんね。」と言われて。逆に母にそんなことを言わせてしまって、本当に申し訳なくて、自分が情けなくて、悔しい、そんな強烈な感情が湧き上がってきたのを覚えています。
それからは「もう片耳難聴を言い訳にしない」「ハンデがあっても絶対負けない」といった調子で、僕の中で何かスイッチが入った気がしましたね。
プレッシャーというよりは、ポジティブな原動力です。片耳難聴を受け入れることは、僕にとっては、自分の弱さを認めること、その中で人生やっていく覚悟を決めること、振り返れば人間としての成長、強くなれる一つの良い機会になったと思います。

片耳難聴と仕事
「コミュニケーションの本質は、どれだけ本気で相手と向き合えるか」
現在は、総合商社で働いていらっしゃるんですね。進路選択に、片耳難聴のことは影響しましたか?
小中学生の頃は、将来の夢の一つに「パイロット」と書きました。しかし、安全な業務遂行のため聴力や視力など多くの身体的条件が課される職です。片耳難聴のことを母から何度か話はされていたので、難しいことは薄々解っていました。早い段階で将来の可能性を見極めなくてはいけない現実に、少しの悲しさはありましたね。
その後、「パイロットよりカッコいい仕事があるはず」とポジティブに気持ちを切替え、その様な仕事を探してきました。
大学入学時、将来は”世界で活躍できる人材になる”という目標を立て、卒業後は総合商社で社会人としてのキャリアをスタートさせました。今後、様々な経験を積み重ねていく中で変化もあると思いますが、自分の人生に使命感を持って取り組めることを見つけたいですね。
そうだったんですね。学生時代は、アルバイトなどされていましたか?
片耳難聴という点では向いてないと思われるかもしれませんが、アパレルの販売員など、コミュニケーションが重視される様なものばかりでした。やりたいことを優先していましたね。インターンはオフィス仕事だったので、静かな環境で働きやすかったです。
海外での外交プロジェクトに派遣されていたこともあり、そこでは世界の人々と対話をする多くの機会を頂きました。その際も、必要に応じて自身の障がいを開示していましたが、周りの人はあまり気にしていない様子でした。
就活では、片耳難聴を開示するか迷う学生もいます。鈴木さんはどうされていましたか?
選考時は特に開示しませんでした。基本的には静かな環境だったので、問題なく会話出来る自信があったからです。グループディスカッションの選考もありましたが、席の配慮などをリクエストすることもなく参加していました。
グループディスカッションで席を変えて貰う人もいるので、やはり状況や人それぞれですね。入社後、現在はどのようにお仕事をされていますか。
ファッション業界の部門で働いています。社内外の人々とのコミュケーションやスピード感のある交渉事が重要な営業部署にいるため、片耳難聴を持っていると、やり辛さが増していると感じます。
困る場面も当然あるだろうと、入社前から予想はしていました。そのため、入社初日の面談で、僕を一年間担当して下さるインストラクターの方には、「片耳が聞こえないため、咄嗟の音をキャッチ出来ない場合が多いこと、何度も聞き返す可能性があること」などを事前に伝えました。その後、同じチームの人にも伝えています。
子どもの頃はそれほど問題なく過ごしてきましたが、社会に出て働き始めると、初対面の人や不特定多数との関わりも増えます。片耳難聴についてどう説明するかは毎回考えますし、ビジネスは責任が伴うので緊張感が増しましたね。常に人一倍に神経を集中させて聞くのは、無意識の内に非常に体力を使いますし疲れてしまいます。
業務で、片耳難聴のために大変と感じることや工夫していることはありますか?
不便なことは結構あります。例えば、電話中に他人から話しかけられても聞こえないので(聞こえる耳で電話を取っているため)、周りの人から次に話したいと声掛けられても気づかずに「ガチャッ」と勢いよく切ってしまいます。僕の次に電話を代わって欲しい人は、急いで僕の視界に入ってジェスチャーしたり、直接肩を叩きに来ますね(笑)。
また、音の方向が解らないので、名前をどこから呼ばれているのか解らず、いつも音源を探してしまいます。誰かに呼ばれた気がして「はい!」と勢いよく立ち上がってしまい、「誰も呼んでないよ」と言われることもたまにあります(笑)。
ありますね、一人でちょっと恥ずかしくなります(笑)
片耳難聴ゆえに、仕事上の会話がスムーズにいかないときもあります。
はい。しかし、「コミュニケーション」って何だろうと考えると、一時の聞こえづらさは表層上の問題であって、長期的に見ればそれが原因でコミュニケーションが上手くいかないといったような、そんな単純なものではないと思っています。
どういうことでしょうか。
僕自身も未熟な部分が多く、失敗してばかりなのですが、目の前の相手にどれだけ真剣に向き合えるか、本気さや誠実さが相互にしっかりと伝わっているかどうか、そこにコミュニケーションの本質はあるのではないかと考えています。
例えば、家族や親しい友人、信頼するパートナーなどは、僕が無視している様な形になってしまっていたり、何度も聞き返すことがあったとしても、嫌悪感は一切無く関係性は揺らぎません。それまで一緒に過ごしてきた時間・共有してきた経験などから僕自身を知ってくれていて、そこには強い信頼関係があるからです。
また、海外にいた時に言語や文化の異なる中で、意思疎通がスムーズにいかずストレスに感じることも多くありました。しかし、慣れない英語でも何とかコミュニケーションを取ろうと試行錯誤しながら相手と向き合い続け、その姿勢を相手に示そうとしていました。時には相手にお願いして時間を頂き、理解出来るまで同じことを何度も説明して貰っていました。
何事もそうかもしれませんが、慣れないことって余計にエネルギーを使うので疲れます。それでも、コミュニケーションを諦めずに粘り強く続けていくと、少しずつ相手が何を考えているのか解ってきます。相互理解というのは、一朝一夕で片付く話ではなく、こうした地道な積み重ねの中で初めて達成されることを学びました。
こうした経験から、コミュニケーションに重要なのは、例えば様々な言語を流暢に操るといった”能力”の話ではなく、信頼関係を築く為に相手と本気で向き合おうとする”姿勢”だと考えるようになりました。
とは言え、聞こえにくさがあることで、そもそも人と知り合ったり関係を一歩深めてるのに気が引けることはありませんか?
確かに初対面の場合、信頼関係を築く前なので、相手の誤解を招かないためにも特に慎重に対応するよう心掛けています。中には声の小さめな方も居るので、コミュニケーションに支障が出てしまうと感じた際には、自己開示する必要もあります。両耳が聞こえる人であれば、こうした些細なことに余計に神経を使いながら相手と話さなくていいのか、と考えてしまうことは若干ありますが、それが原因で人と距離を置くことはありませんでした。
しかし、やはり仕事上お客様との商談でのやりとりは困ることが多いです。商談は、緊迫した雰囲気の中で行われることも多く、一度限りの重要なことを聞き逃してしてしまっても、お客様を最優先にすべき場面では、聞き取れなかった内容を何度も聞き直せる雰囲気はなく、苦しく感じることもあります。
それは辛いですね。
最近は、コロナ禍に於けるコミュニケーションの変化で、余計に厳しくなったと感じます。マスク着用で表情や口の動きが読めず、音もパーテーションで遮断されて何を言っているのか分かりにくくなります。屋内換気の為にオフィスの窓を開けているのですが、外からのノイズが入るので、より聞こえづらくなります。
その様な状況下でも会議では最若手の僕が議事録を取る係です。所属するチームは20人と社内でも比較的大勢で、大部屋でディスタンスを取りながら会議が行なわれるため、聞き取りにくい環境です。最若手の僕一人の為に何度も「聞き取れなかったので、もう一度言ってくれませんか」「もっと大きな声で喋って下さい」とは言いづらく、自分だけ取り残されてしまう時もあります。
もっと自分から助けを求めるべきかとも思いますが、席は聞こえる端に座ったり、ボイスレコーダーの活用や、会議後に先輩に聞きに行って時間を頂き、要点をキャッチアップしてもらうなど、何とかやりくりしています。
状況によって、どこまでヘルプを求めていいか迷いますよね。
若手だからこそ任される仕事もあると思います。初めはその仕事でしか、チームに貢献出来ないことも感じています。
そういった意味では、やはり経験を重ねるにつれ、徐々にやりやすくなってきた部分もあります。片耳難聴に限りませんが、自分が苦手なことは、周りの人にヘルプをお願いして、その代わりに自分の出来ること・得意なことを引き受けたり。チームや取引先の方との関係性も積み重なってきたので。
僕が思う理想のチームワークというのは、常に個々のメンバーの得意・不得意を相互的に把握しながら、同時に組織全体として適時適材適所をキープし続けることです。当たり前のことですが、言うは易く行うは本当に難しいです。
個々のパフォーマンスを発揮することは、ビジネスの成果をあげるため企業側から見ても大切な観点だなと思います。誰もが働きやすい職場環境になっていくといいですよね。

片耳難聴と普段の生活
「”自分にもここまで出来るんだ” という自信に」
ここまでは、ご家族や仕事について伺ってきました。普段の生活は、いかがですか。
仕事柄、私生活でも百貨店や洋服屋によく足を運びます。お店に行けば、販売員さんが優しく声掛けてくれます。しかし、僕の視界に入っていない場合、反応することが出来ないことが多いです。
僕もアパレルの販売員をやっていたので、無視されたのかなと相手が思う気持ちは解りますし、無視してしまっていたかもと思うと申し訳なく思います。お客さんの動きを観察して、タイミングを見極め、時には勇気を出して、お声掛けしたのに無反応では少し辛いですよね。かといって、入店していきなり「声をかけられても気付けないことがあります」と言うのも違うかなと思いますし。
相手の声が聞こえていなくても仕方ないと思われるように、ヘッドホンを付けたまま入店したこともありました。しかし、これも販売員さんに対してリスペクトに欠ける行為と僕は思いますし、気付かない内に誰かを無視してして嫌な人と思われたくなく、店内にいる時は販売員さんの動きばかり気にしてしまいます。
仮に、販売員さんに難聴の理解があれば、最初から無視されたと考えず、「聞こえないのかもしれない」と想像力を働かせて、その可能性を探り、別のアプローチをしてくれるかもしれないなと思います。
相手の立場に立って考え、気を遣われるんですね。普段の生活でも、そのように気を遣う場面が多いのでしょうか。
そうですね、普段は聞こえる方の耳が相手側を向くように、さりげなくポジション取りしようとしています(笑)。
必要に応じて、親しい友人や交際相手にも言い方は考えますが、もう少し大きな声で話して欲しい時や、歩く位置や座る位置を変えて欲しい時、(右ハンドルの車を)運転中は助手席からの声が聞こえづらいことなど、日常の細かなことはその都度伝えるようにしています。
ただ、他のことに集中している時に話しかけられても、耳が “聞くモード” になっていないことがあって。ボソッと呟くみたいなちょっとした会話が日常生活にはあるかと思います。聞くことに意識を集中させていないと、その咄嗟の音をキャッチすることは難しいんです。
「ごめん、今何て言った?」と聞き返しても、改めて言うまでもない些細なことも多く、「いや、なんでもないよ」と言われると少し悲しいですね。
また、声の小さな人と話す時は、聞こえにくい場面は必然的に多くなります。僕が何度も聞き返してしまって「あ、もう大丈夫」と言われてしまう時は、申し訳なさを感じてしまいます。
相手にも事情があるとわかっていても、自分の気持ちが揺れることはありますよね。日常の随所で不便があるのは、やはりストレスですか。
そうですね。大きくはないかもしれませんが、日々小さなストレスが多いので、両耳が聞こえる世界はどんな感じだろうと時折考えてしまいます。たとえば、僕は音の立体感が解らないため、もし両耳が聞こえたら、音楽鑑賞をステレオでより楽しめるのではと想像しています。
子どもの頃は、「いつかもう片耳が聞こえなくなるのではないか」という恐怖感もありました。視力は遺伝で徐々に下がっていたので、聴力も同じように低下してしまったらどうしようと不安でした。
今は、その恐怖心はなくなりました。視力がコンタクトや治療で矯正出来るように、進歩し続ける医学や技術の存在があるので、その可能性を信じています。
不安に思ってきたことや、悩むこともあるけれど、だからこそ、前向きにチャレンジされてきたのだとも感じました。
小学生の時、片耳難聴のことをクラスメートにからかわれたりすることは若干ありましたが、今思い返せば上手く対応していたと思います。
心ない言葉をかけてくる人と同じフィールドに居る限り自分はダメだと。早く外の世界に出て、もっと人間的に尊敬出来る人が集まる環境に身を置いて成長したい、と少し尖っていたので(笑)、全く気になりませんでした。常に目線は遠く外向きでしたね。もともとの性格もポジティブ、ちょっと性格の悪い少年ですかね(笑)。
正直に言えば、ハンデを抱えている以上、小さい時から自分の目標を達成するには、人一倍努力する必要があると感じていました。目標を目指す過程で、限られた貴重な時間やエネルギーを、無駄なことに使っている余裕は無かったんです。目標を決めたなら、どんな横槍が入ろうとブレず常に一直線、良い意味で余裕はなく、無我夢中でした。もう15年以上も前の話ですが、その頃の姿勢は今も忘れたくないですね。
今後も片耳難聴で不便と感じることはあると思いますが、どれだけやっていけるのか挑戦し続けたいです。きっと挑戦した分だけ「自分でもこれだけできる、努力で超えられる」という自信に繋がっていくと思っています。

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