「″生きるちから″を物語にしたい」片耳難聴の主人公を描いた「蝶の羽ばたき、その先へ」作者森埜こみちさんスペシャルインタビュー

2020年7月17日 − Written by きこいろ編集部

「聞こえる世界」と
「聞こえない世界をつなぐ」

作中に込められた思い

麻野:物語のきっかけは「生きるちから」を感じられた、手話の先生との出会いとのことでした。
森埜さんの感じた生きるちからとはどんなものか、もう少し教えてもらえますか。

ひとと、まっすぐに向き合うちからでしょうか。

「今日子先生」のモデルとなった私の手話の先生は、わからないときには「もう一回」、「いまのなに?」、「教えて」といいます。
わかると口を大きく開けて笑って、冗談で返したり、違うんじゃないのと反論したり。
誰に対しても、そんなふうにまっすぐに接します。

たったそれだけのことといえばそうかもしれませんが、わたしにはできません。

苦手なひとには「お願い」と言えず、言うのがいやで(笑)、避けてしまうことがあります。

「今日子先生」にそれができるのは、生まれ持っての性格もあるかもしれませんが、わたしには聴力を失うという経験をとおして獲得されたように思われたのです。

麻野:まっすぐに向き合うのが難しい、言うのを避けたくなるといった心の動きは、森埜さんのデビュー作「わたしと空と五・七・五」にも通じて描かれているように感じました。


 あの本の主人公の空良ちゃんも、こころを開くことが苦手な女の子。わたしの投影ですね(笑)。

でも、思春期の子どもたちは、大なり小なり、この問題を抱えていると思います。
こころを開くことができたら、かなり楽になるんですけどね。ただそれは、案外難しい。

高井:私は長年、中学校の難聴学級の教員をしてきましたが、やはりまだ中学生くらいだと相手との関係性の中で言葉を使って心を通わせていくのが難しい年頃だと感じます。

そうですよね。難しい。
けれど、ひとは小さなきっかけで大きく変わることがあります。結ちゃんみたいに。

高井:「蝶の羽ばたき、その先へ」の主人公の結ちゃんも「この人にだったら話せる」という相手がいて、それで言葉が生まれて。
誰かに聞いてもらった・認められたという体験でまた、自分を肯定できる…そんなプロセスが描かれているように感じました。

結ちゃんの場合は、今日子さんに出会い、手話にふれることで世界が広がっていきます。

一緒に笑いたいところで笑えないのは、両耳難聴の人も同じなのだと知ったり、手話を学ぶ人や聞こえない人たちが取り組んできた様々な活動を知ったり。とりわけ今日子さんには、いまの自分の状況を深く理解してもらいます。そしてそれが、一歩を踏み出すちからになります。

麻野:作品に登場する友達では、クラスメイトの真紀ちゃんが私は好きでした。結ちゃんを友達として大事に思うからこそ、素直にぶつかっていく様子が感じられて。

彼女は結ちゃんに、「なんで聞こえないことを、わたしに言わなかったのか、なんでわたしを信頼しなかったのか」と迫ります。
そういう友がいてくれることは人生の喜びですよね。どんな場合でも。

麻野:はい。それでも「聞こえない、ってどうして言えないんだろう」って思うのは、きっと結ちゃんだけじゃないだろうなと感じます。
頭では言った方が良いだろうと思っても、それが出来ないから悩むのでしょうし。

結ちゃんはたくましい女の子ですが、もっと中学生なら悩んで当然だし、ジタバタするのではないでしょうか。

それでいい、自然体でいれば、それでいいのだと思っています。

もしも、「わたしは言えない、そんなふうに言えない、できない」と思われる方がいらっしゃったら、その方はわたしの友だちです。落ち込む必要はないですよ。ぜひ創作を目指してください。「なんで、できない」が創作の大きなちからになります。

だいじょうぶです。

高井:そのような「周囲に私は片耳が聞こえない」と伝える葛藤は、取材から考えられた部分もあったのでしょうか。

そうですね。

作品を書くためにお話しを伺ったその中のお一人は、聞こえとことばの教室(通級指導教室)の先生だったのですが。
そこで、聴覚障害を持つ子どもたちに最初に教えるのが「自分は、耳がよく聞こえません」という自己紹介の仕方だと聞いたんですね。
周りに伝えることがそれほどまでに葛藤をともない、難しいことなのだと知りました。

ただ一方で、それはつらいな、と思ったんです。

伝えた方が楽になるのも分かるんだけれども、伝える自由もあるし、伝えない自由もあると感じました。

高井:ああ、なるほど。
学校の先生は、その子のためを思って言っているのだけれど。
「私は両耳が聞こえにくいので、はっきりゆっくり大きな声で喋ってください」みたいな、自分のことを説明する言葉がマニュアルのようになってしまう場合が多いですよね。
そうではなくて、伝えたい人に合わせて、出したり引っ込めたりアレンジできるのが「自分を伝える」ということだと思うのですが。

ええ、そのとおりです。

耳が聞こえない・聞こえにくい、あるいは他の事柄でも、それらは自分のなかの一部であっても、全てではないですよね。

だから、それを必ず最初に説明しなければいけない、というのは違うのかなと。

本人が何を望むか…だと思ったんです。

もちろん、その辺りの対応は学校や先生によっても違うのでしょうけれど。

麻野:両耳が聞こえない場合は、音声でのコミュニケーションを取るスタート地点から難しさがあるので、最初に説明が必要な場合が多いのかもしれませんね。

そうですね。伝えることは、コミュニケーションをしっかりとるために大事なことだと思います。

ただ、聴覚障害にもいろんな程度や状況の子どもがいますよね。

それぞれの立場の子どもたちが、自分のその時々の気持ちより、周囲の聞こえる側に合わせて説明を一律に強いられているような状況を思うと、苦しいな…と感じました。

そんな思いもあり、じつは「結」という名前にも意味を込めました。
聞こえる世界も、聞こえにくい世界も知っている結は、聞こえる人と聞こえない人を繋ぎ、結ぶことができると。
結ちゃんには、そんな重たいもの背負わせるなと叱られるかもしれませんが(笑)。

森埜さんの執筆にお邪魔する愛猫

麻野:ちなみに、「両耳が聞こえる世界」を森埜さんの言葉で表現するとしたらどんな言葉になりますか? 片耳生活が長いので、私には逆に想像ができないんです(笑)

高校時代までは、モノラルのラジカセを使っていたんです。
大学に入って初めてステレオコンポを買い、音の違いに驚きました。とりわけユーミン(松任谷由実)の「翳りゆく部屋」をヘッドホンで聴いたときは、鳥肌ものです。

なぜヘッドホンかといえば、安アパートでは大きな音がだせなかったからなのですが、両耳から聴こえてくる圧倒的なパイプオルガンの音に包まれて、うっとりしました。

それまでは、音は前方から聞こえてくるものでしたが、ヘッドホンをすると、音の真ん中に立っている感じになるのです。前方から吹いていた風が、四方から吹いてくる感じ。風の真ん中に立っている感じです。

ヘッドホンをして気づいたことですが、わたしにとって「両耳で聞こえる」は、「音の渦の真ん中に立っている」でしょうか。

麻野:なるほど…想像するだけで鳥肌が立ちますね、クラクラしそう(笑)


  • ●聞こえとことばの教室(難聴・言語通級指導教室の通称):
  • 通常学級で授業を受けながら、個別の指導が必要な子どもたちが通う教室。
    地域によって対応は様々で、難聴に限らず通級指導教室に通いたい子どもたちは増加しており、片耳難聴児を受け入れているところは多くはない。
  • クラスを抜けて通わなければならないので、子どもと相談した上で何を支援してもらうために通うのか目的を明確にして通えると良い。

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