影響を受けた人との出会い、そしてターニングポイント

(岡野)プロにまで登り詰めるということは並大抵の努力ではなかったと思いますが、町田選手が「これは人よりも努力した」と言えることはありますか?
そうですね、その時々でターニングポイントがあったんですけど、僕は周りの人に恵まれてここまで来られた面が多いと思っているので。
例えば高校で、やんちゃしたい、だらしなくしていたいっていう頃があるじゃないですか(笑)。でも、僕が高校で尊敬していた友人がいて、彼はネクタイをビシッと締めているんです。(練習場の)グラウンドが土だったんですけど、雨で水が溜まっちゃったら、一年生が大きいスポンジで水を吸わせてっていう作業をやるんです。彼はエースなのにそれを一人でやっているんですね。それを見て、これはまずいな、どんどん置いていかれちゃうなって。
高校でも大学でも、そういう仲間がいたからこそ自分は良い方向に行けたし、もちろん自分も努力はしましたけど、そこで気付かせてくれた仲間、先生、親がいたからここまで来られたのかなって。それに気付けたのは自分でも良かったのかなと思いますけどね。
(麻野)私はバスケをやっていたのですが、やっぱり集団スポーツ、かつ動きの多いスポーツだったので、やりにくさがありました。でも、自分の出来なさまでをも「聞こえないから」って言い訳に使ってしまうときもあって。そういう風になったことはないですか?
ないですね。逆にそう思う人が多いことにびっくりしています。「そうなんだ?」って。私生活に関してはちょっと思うことはありましたけど、サッカーに関しては本当になかったです。
(麻野)とにかくサッカーが好き、楽しい、夢中にやってきた結果、今に至るみたいな感じでしょうか。その思いの強さをすごく感じます。
そうだと思います。でも、プロになれたのはタイミングとかもやっぱりあります。子どもたちには「一生懸命やりなさい」としか言わないですけど、タイミングってプロになるためにはすごく大事なので。いくら努力して才能があっても、それを見てくれるスカウトの人がいて、チームが「このポジションが欲しい」と思わないかぎり獲得されないので。
そのタイミングをうまく持っていけるのも才能かもしれないし、サッカー選手になった人はみんなタイミングが良かったのかなと。
(岡野)今、1,000人に1人の割合で片耳難聴の子どもが生まれていて、町田選手の存在に勇気づけられるご家族や子どもたちはたくさんいると思います。
今度のオフシーズンに小学校で講演をするんですよ! 耳に関してではないんですけど。そういうことの講演もしていきたいなと思っているので。耳のことをなかなか公表できない人がいたら「全然公表していいんだよ、言ったほうが楽だよ」とか、僕自身がそうだったので伝えられればいいなと。
前の所属チームでは、立場的に厳しい状況になった経験もされ、その逆に10番を背負って活躍もされました。サッカー人生の中で一番楽しかった瞬間と、一番辛かった瞬間、両方あると思いますが何が浮かびますか?
そうですね、辛かったときは…。
あの時代ではない感じですか?
いや、あの時代も辛かったですね。夏の移籍期間が終わった後に監督に呼ばれて、「システムを変える。也真人のポジションはない」と言われて突然メンバー外になったんです。それを言われた瞬間が、プロの中では一番突き刺さっている。移籍の期間は終わっているし、じゃあシーズンの半年間どうすんの? みたいな(笑)
でも、使われなくなった理由は自分でも分かっていたんですよね。それは他のプレーは良くてもゴールを獲れていないからだと。じゃあこの半年間、ゴールを獲るための練習をしようと。それに自分は体が小さいので「鍛えないと」って、そこにフォーカスした半年になったんです。それを反骨心にしました。
その半年では、結局一試合だけ使われたんですよ。ラスト二試合目に、他の選手が出られなくなった兼ね合いで。だけど「次も頼むぞ」って監督に言われていたのに最終戦ではメンバー外になって。結局、最後にチョイスしたいのはビハインドになったときにパワープレイできる選手だと言われて、僕はそういうプレーヤーじゃないので、これは「もう確実に移籍だ!」と思いました。
なのに、監督はなぜか「僕を残せ」と。それで結局チームに残りました。ところが、翌シーズンにフタを開けてみたら、まったく僕を使う素振りがなかった。
それは戸惑いますね。
反骨心に燃えた半年間があって、オフシーズンにも頑張って、それで開幕を迎えたのに結局使われなくて……だから移籍を申し出たんですよ。でも、移籍先と金銭面でこじれて実現しなかったんです。そうしたらなぜか、次の週くらいにメンバーに突然入って、その次の試合にはスタメンになったんです。監督がなぜ僕を使おうと思ったのかは分からないんですけど、その試合で点を決めたんです。その後の試合でもゴールが続いて、チームの中では得点王になったんですね。
監督にどん底に突き落とされたときに、反骨心がグワーッと出て、それで自分と向き合った半年があったからゴールが獲れたっていう。なんていうんですかね、激動の一年ですね。そこが自分の中でプロとしてのターニングポイントになりました。
スキルだけじゃなくて、ご自身のメンタルもかなり変わりましたか?
かなり変わりましたね。もうなんか、小さなことにはまったく動揺しなくなりました。弱い選手ってワンプレーごとに思っちゃうんですよね。パスがずれたりすると「あっ、ずれた…!」とか。「パスが来たらどうしよう」とか。そういうメンタルになったら負けなんですけど、あるんですよやっぱりそういうときって。
そういう細かいことはもうどうでもいいみたいな?
もう、全然何しようがメンバーに入らないので。だからもう、好き勝手というか、自分のため、ゴールを獲るためのことだけを考えて。そうしたらどんどん自分の調子が良くなっていって。
開き直ったような感じですか?
完全にそれです。だから逆に感謝してますけどね(笑)
そこがどん底でもあり、いちばん輝いた瞬間?
そうですね、成長したとは思います。