お話を伺った方のプロフィール
- 仮名:けいさん
- 年齢/性別:30代、女性
- 家族構成:夫、子ども二人
- 仕事:地方公務員
- 聴力:右耳が全く聞こえない
- 原因:25歳のときに聴神経腫瘍になった
- 治療:手術のため1か月入院
- その他の症状:特になし
- 補聴器の使用:クロス補聴器を検討するか悩み中
- 周りの人への開示:必要な時にしている
- 片耳難聴の受けとめ:徐々に消化していった
1. 告知を受けて、まずは良性だったことにホッとした
片耳難聴になったのは「聴神経腫瘍」という病気によってとのことでした。はじめに、病気がわかったときのことを教えてもらえますか。
診断を受けたのは、2010年です。その2~3年前から、めまいや耳鳴りがあり地元の耳鼻科に通っていました。
でも、めまいの薬を飲むと収まるし支障も感じない程度だし、仕事が忙しくて、あまり気に留めていませんでした。当時は、MRI(画像診断)は取っていなくて、聴力検査も異常はありませんでした。
それがある日、電話を右耳で聞こうとしたら、声が遠く聞こえなくなっていたんです。そこで初めて聴力が落ちていることに気づきました。慌てて、大きな病院へ行きました。その時は「突発性難聴」と言われ服薬しましたが治らないので、5日入院しステロイド治療をしました。
それでも良くならず、違う可能性があるかも知れないということで、MRIを取りました。
結果、聴神経腫瘍があると分かり。
告知のときに、医師に「家族の方は今日、来てますか?」と言われたので、これは何か大ごとだと「あ、死ぬかも?」と思いましたね。なので、告知を受けて良性だったことにまずはホッとしました。

- 聴神経腫瘍とは?
- ・発症率:10万人に一人。片側のみに起こることが多い
- ・原因:はっきりと分かっていない
- ・症状:良性の腫瘍、聴力の低下、耳鳴り、めまい、ふらつき
- 腫瘍が大きくなると、顔の麻痺や意識障害があるケースもある
- ・治療:腫瘍の大きさ、年齢、全身の健康状態で検討する
- 放射線治療、手術治療、経過観察。病状・治療方法などは、個別の状況によります。病気のご相談は、医療機関でお尋ねください
- (詳細は近日公開)
2.手術まで日常生活はいつも通りに
腫瘍が分かり、周りの方や職場にはどのように伝えられましたか。
診断後すぐにでも他の病院の専門医を受診するよう勧められたため、その足で仕事場に行って、事情を説明して休みを取りました。MRIの結果のコピーを上司に見せ「腫瘍ができてしまって..」と。言う・言わないを悩むまでもなく、とにかく手術をするには休みが必要だったので、そのまま伝えました。腫瘍と伝えたので上司もびっくりしてしまって、直属の上司だけでなくさらに上の方にまでお伝えすることとなりましたが..。
いまの夫になる相手にも、メールで事実を伝えました。やっぱり、入院するには伝えない訳にもいかないので。驚いていましたね。
仕事や生活はどうされていましたか。
診断後4ヶ月後に手術をしました。その間は特に制限もされなかったので、事前の検査で何回か休む以外は、ふつうに仕事をして、夜勤業務も通常通りにやっていました。日常生活も、いつも通りでした。
気持ち的には、原因がはっきりしたのと、手術をすれば命に問題はなく再発もしないと分かっていたので大きく落ち込むことなく過ごしていた気がします。
逆に、もし今のタイミングでなったら、もっと落ち込むかも知れません。当時は、実家暮らしで術前術後も親の支えのある環境だったし、若さという勢いもあったし。今は、子どもに手もかかるので、手術となったら現実問題の大変さももっと大きそうです..
手術については、どんなお気持ちでしたか。
開頭手術を右耳後ろ辺りから行いました。
自分でもインターネットで分かる範囲で調べたところ幾つか選択肢があると知りました。病院では、年齢的に先も長いから、と手術を勧められました。腫瘍は年に1~2mm単位ですが大きくなり周辺を圧迫し、最悪は命にも関わる可能性もあると言われたため、すぐに手術を決めました。
聴力は、もしかしたら聞こえなくなるかも..とは分かっていたけれど、その時はほとんど気にはしていませんでした。耳のことより、まず命にも関わるかも知れない状況の方が明らかに大きかったので。
オペの当日はどんな感じでしたか。
終わった後も、聴力のことは頭になかったです。それよりも、全身麻酔で喉に挿管、鼻にもチューブ、足も血流を滞らせないために圧迫する装具がつけられていて、その痛みに困ってました..。
それから、私の場合はめまいが大変でした。近くのベッドにいた方は、全然問題なく動けていたので、個人差があるようですね。私は、きちんと歩けるようになるまで1ヶ月近くかかりました。
目が回ってしまって全く姿勢を保てず、寝返りを打つの辛くて。手術をした方を下にして寝るのは怖かったのですが、そのために動くのも苦労しました。初めは、病院のベッドのリクライニングを使って、少しずつ態勢を起こすのがやっと。1週間後くらい経った頃、頑張って立ってみるも支えがないと立ってられず..。
ひと月ほどで退院はしたのですが、それからもフラつく感じがあり、例えば、階段は手すりのある側を歩くとか。走れるまでに回復したのは、半年後くらいでした。
その他に、術後に何か困ったことなどはありましたか
神経の傷つく場所によっては、顔に麻痺が残るケースもあり、私も術後すぐは片側の唇が上手く動かせませんでした。うがいをしようとして水を口に含んでも、片方の口はちゃんと閉じれず、水が唇の端から零れてしまったり。でも、今はパッと見て分かるような後遺症としては残らず済んだので、不幸中の幸いだったとは思っています。

3. 両耳の聞こえから片耳の聞こえへ
片耳が聞こえなくなったと分かったときは、どんな感じだったんでしょうか。
手術が終わって、二日後くらいに「聴力は残せなかった」とドクターに言われました。そのときには「あ、ダメだったんだ」とガッカリ、結構ショックを受けました。
片耳難聴の詳しい情報は伝えられないので、実際どうなるかイメージがありませんでしたが、漠然とした不安、仕事に復帰できるか、生活できるのか..と悩みました。
腫瘍は2cmくらいの大きさになっていたので、10年くらいで進行したものだったんですよね。もし、もっと早く見つけていれば、聴神経にまでダメージはなく済んだのかも知れない。聴力を失わずに済んだのかも知れない。そう思うと、悔やまれる気持ちもあります。
でも、「命があるんだから良いじゃないか」と自分を納得させたようなところもあって。
周りの人にも、手術のことなど「ここの骨を取って、また戻したんですよー」なんて軽く・明るい感じで言っていましたが、実のところ内心は落ち込みもあって。そんな風に空元気のように言うしかなかった感じでした。
時間が経つにつれての変化はありましたか。
初めは落ち込む時間も長かったけど、徐々に浮上するまでの時間は短くなりました。「努力で聞こえが戻るものではないから」と受け入れていきました。
また、聞こえなくはなったけれど、術前のめまいや耳鳴りがあった頃と比べたら今の方がトータルしたら楽になったとは思っています(手術後に耳鳴りが必ず改善するわけではない)。
耳は位置などを調整すれば何とかなる部分があるけれど、めまいは起きている間は収まるまで待つしかなかったので。
両耳が聞こえる状態を知っているからこそ、聞こえないこととのギャップが大きく感じるだろうなと想像しますが。
そうですね。例えば、居酒屋での飲み会は、両耳が聞こえていた時と聞き取りやすさが違うんだなとは感じます。ザワザワの中でも聞こえていたのは両耳が機能していたからなんだ、と。難聴側が聞こえないのは分かっていたけれど、騒がしい中でも聞き取りにくいこととは結び付いていなかったので体験してみて気付きました。
音の方向感覚も分からなくなってみて、これまでは無意識に両耳で聞いて分かっていたんだ、と思いました。(詳細「片耳難聴が聞こえにくい理由(両耳聴効果)」
思ったより大丈夫だったこともあります。
趣味の演劇の鑑賞は、聴こえなくなったことで影響がどう出るのか、「同じように楽しめるんだろうか」と術後の初鑑賞ではドキドキしていました。
でも、案外と問題がなくて。音楽を重視される方や聞こえ方によっては気になる方もいると聞きますが、私の場合は今も、特別に席を端に取るなどしなくても観れています。
4. 復職後、自分も周りも工夫できるところは工夫しながら
経過観察を経て術後3か月ほどで復職されたとのこと。仕事上での変化はありましたか。
音の方向が分からないことや、インカムをつけて仕事ができないなど、工夫・努力では補えない業務が出来なくなりました。支障のない、事務方の仕事をメインでしています。
けいさんは、地方公務員とのことで、中には聴力を必要とするお仕事もあるとのことでした。配属される課や業務によって、聴力基準などが定められているんでしょうか。
「片耳難聴だからできない」という明確なルールがある訳ではありません。ただ、聞こえない中でわざわざ自分がやるかと言ったら自信もないな..という感じです。
ずっと憧れがあって入った職場なので、制約が出てしまうのは残念ではありますが..同じ組織の中で出来ることがあるので、それは幸運だったなと思います。
職場の中には他にも、突発性難聴等で中途片耳難聴になった方を数名知っていますが、それぞれで出来ることを工夫しながら働いているようです。
あまり困ったな..と悩むことはないですか。
気持ちの面では、術後間もないころ、片耳が聞こえなくなったばかりの時期に、心配してくれていると分かっても「治らないの?」「治療法はないの?」と言われるのは、ちょっと辛かったです。
自分自身が聞こえなくなったことに慣れていなかったし、消化できていなかったので。「治らないって言ってるじゃん」という卑屈な気持ちになることはありました。
ただ事実、そういう気持ちがあるよなぁ..っていうのはありますよね。
具体的なところでは仕事をする上で、意識していることはありますか
聞こえないのは困るので、必要な度に伝えるようにしています。たまに「この人には聞こえないことを言ったけ」と自分でも分からなくなることもあります(笑)
いちいち伝えるのは面倒だし、アピールがしたい訳でもないのですが。自分一人で仕事をしているのではないから、伝えた方が周りも自分も楽だな、と。
例えば、電話を取ってるときに、話しかけられるときもあるので、部署の人には「メモに書いてください」と伝えてます。
デスクに着席していて失聴側から話しかけられたときも、話が長くなりそうなときには「こっちに回ってください」と言って、聞こえる側に来てもらっています。
普段働くメンバー以外、不特定多数の一般の方などと関わるときはどうしてますか。
一般の方に案内の対応などをするときもありますが、必要を感じないのでそこでは伝えていません。そういった場面では、自分のペースで話せるから会話しやすいし、聞こえない位置や賑やかな場所でもないので問題なくやれています。
伝えている職場の周りの人は、どんな反応ですか
上司をはじめとして、もともと仲間意識の強い文化があるので、理解もある環境だと思います。公務員ということもあり、他の身体に障害を持った方も働いていますし。
職場全体では400人、部署は10人程度なのですが、普段関わりのある人にはずっと言っているので配慮してくれるようになっています。
復職したときには、職場側から配慮として、右耳難聴が聞き取りやすい右端のポジションに変えてくれていました。聴力が落ちた時点で、すぐに上司に伝えていたのですが、その時点では座席位置の変更までは申し出ていなかったのに。
- 公務員が勤める行政機関は、民間企業よりも「障害者雇用」制度という就労が極めて困難になりやすい障害者(手帳所持者を対象.片耳難聴は該当しない)の雇用義務が定められている(詳しくはこちら)。
それはすごいですね。もしかしたら、他の片耳難聴の方に接するときの経験があったのかも知れませんね。
今も変わらず、席は聞きやすいポジションにして貰っています。
それでも、職場でも日常でも、聞こえなさを伝えても、忘れられてることもあるんですよね。だけど、それをちゃんと気にし出してしまうと益々辛くなると思うんです。
あまり気にしないようにして、自分も周りも工夫できるところは工夫するのが、楽に生活していくためには大事かなと思っています。

参考情報
- 日本聴神経研究学会「患者のためのQ&A」
- 日本ガンマナイフ学会「主な適応疾患」
- Neuroinfo Japan「疾患情報」