中学校教諭インタビュー「片耳難聴でも、音楽を諦めない」

2022年5月31日 − Written by 辻 慎也

子どもの頃から左耳が聞こえないことによって、音楽に対し一歩引く感覚も持ちながらも、「続けてきた音楽に意味づけをしたい」という思いで、中学校の音楽科教諭になったという平子さんにお話を伺いました。

インタビューの聞き手は、自身も片耳難聴のピアニストで、きこいろでは音楽担当をしている辻さんです。

お話を伺った方のプロフィール

  • 名前:平子さん
  • 年代/性別:20代/女性
  • 所属:中学校音楽教諭
  • 聴力の程度:左耳が全く聞こえない。右耳は聴力正常。
  • 原因/時期:不明/気づいたら難聴だった
  • 治療:投薬による治療も効果なし
  • 補聴器器の使用:なし
  • その他の症状:なし
  • 自己開示の有無:オープン
  • 自身の受け止め:片耳難聴は、むしろ使える

目次

  1. 音楽とともにあった学生時代
    「続けてきた音楽に何か意味づけがしたい」
  2. 専門に学んでみて
    「音を少なくし、言葉で確認すること」
  3. 教える立場になって
    「いろんな人がいるという発信の一つとして、片耳難聴を使っています」

1. 音楽とともにあった学生時代

「続けてきた音楽に何か意味づけがしたい」

平子さんは中学校で音楽を教えています。まず、音楽歴を教えてください。

小学2年生からピアノを習い始めました。中学校では吹奏楽部に入りホルンを始めて、高校・大学と続けました。

それで音大を目指すようになったのですね。

音大といっても、演奏家コースではなく、音楽科教育コースを目指しました。

音楽を「ああ良いな」って思っても、いつ頃からか心のどこかで「私は片耳聞こえないから、きっと違うものを聴いている。私には分かってない」と、一歩引くようになりました。音楽の中にいたいけど、音楽を心から楽しみきれないと感じることがあります。

でも、続けてきた音楽に何か意味づけがしたいと思い、今の音楽科教育の場に落ち着きました。

難聴になったのはいつ頃だったのでしょうか。

私は、気付いたら難聴でした。分かったのは2歳頃。なので、私は聞こえないのが普通の感覚です。左の耳はみんな聞こえないものだと思っていました。

ご家族とは難聴のことを話しますか?

私は大人になってから初めて、自分の難聴のことを聞きました。それまではそれが普通というか、なんでもないというか。自分が片耳聞こえないのは周りと違うっていうのを忘れるくらい、家族は自然に接してくれました。

父と遠出しているときに思い立ち、自分が難聴だと分かって両親はどんな気持ちだったのかを聞きました。

どんな反応だったのでしょうか。

母はプラス思考で、「なんならネタにしなよ」みたいな感じですが、分かったすぐ後はちょっとショックを受けていたらしいです。父はガーンとなりやすいタイプで、かなりショックだったとか。でも片耳難聴だからといって、取り立ててネガティブになることはなく。

例えば、「あなたは耳が聞こえないから音大に行くのはやめたら?」とは言われませんでした。聴音が苦手なのですが、それを耳が聞こえないことと結びつけられたことはなかったです。


  • *聴音:音楽の基礎訓練(ソルフェージュ)の一つ。メロディや和音を聞き、楽譜に起こす訓練。

2. 専門に学んでみて

「音を少なくし、言葉で確認すること」

音大に入り、専門的に学ぶ中で聞こえが気になったことはありましたか?

音大では音楽科教育を専攻し、ホルン・声楽・ピアノは副科で取っていました。

ホルンは右側にベルが出ていて、合奏の時は、左側のホルンに合わせる必要があります。私は左耳が聞こえないので、合わせるのに苦労しました。「皆、聞こえてるのかな?」と思っていました。

あとは合唱ですね。私がよく歌っていたソプラノのパートは立ち位置が右側で、他の声部が難聴側になります。なので、歌っていると特に難聴側にくる女声が聞こえず、自分の声しか聞こえませんでした。音域が違う男性の声は聞こえますが、対等に混ざっている感じがしなかったです。

それが両耳聞こえる人も持つ感覚なのか、片耳難聴ならではの感覚なのかは、分からないんですけど。

大人数のアンサンブルで、聞こえが気になったのですね。音大ではソロの試験もあり、1対1で合わせることがあります。

ホルンのソロの時は自分の音がよく聞こえ、伴奏のピアノの音がモヤモヤしたものに感じました。「オンオフ」みたいな、どっちかの音しか聞けないような感覚です。

そのように、聞こえが気になったときに工夫した事はありましたか?

結構実験好きなので、色々やってみました。その中では、「音を少なくし、言葉で確認すること」が効果的でした。

例えば、ホルンを吹いてるときに「ピッチ(音の高さ)合わせて」と言われた場合。全体で合わせようとすると難しいのですが、隣の人と別の部屋で確認して、その感覚を覚えておくことが有効でした。

どのような感覚だったのでしょうか。

「自分では案外合っていないように思ってても合ってる」とか、「大きく音を出すとピッチが高くなるので低めに音をとる」ということを少人数の合奏で確認していました。全体の合奏でも、確認しておいたように演奏するとうまくいきました。

他に工夫した事はありますか?

声楽のときは言葉で確かめながら音楽を作りました。伴奏の方に「こういうふうに歌いたいんだよね」と伝えるとピアノで「こういう感じ?」って弾いてくれて。「そうそう、じゃあ一緒にやってみよう」というふうにしていました。

音を少なくして、言葉を交わす中で気付いたことは多いですね。

3. 教える立場になって

「いろんな人がいるという発信の一つとして、片耳難聴を使っています」

音大を卒業された後、中学校の教員になられたのですよね。周りの方には片耳難聴のことをどれくらい伝えていますか?

完全にオープンにしています。例えば、学校に行って初めましての自己紹介をする時は、最初に言います。私は、片耳難聴自体にはそれほどネガティブな感情を抱いていません。むしろ、それを自分の「売り」というか、「個性」として気に入っています。「私は髪が長い」「私はメイクが好き」というのと同じような感じで、「私は耳が聞こえないんです」とよく言っています。

中学校では、音楽だけじゃなくて道徳とか、他にも日常的に生徒と関わることがあります。そういうとき、色んな人がいるっていう発信の一つとして、私は片耳難聴のことを使っています。発信することで、周りに「ああ、こういう人もいるんだ」と分かってもらうという役割を、自分は担ってると思います。もちろん、言いたくない人もいるって気持ちも分かります。

だからこそ、私はいろんな人に片耳難聴のことを言っています。「片耳が聞こえないとこういうことできないんだよ、だから私にはもっとこういうふうに話してね」と。小学校のときには、難聴を題材にした本で読書感想文書いて、賞もらったこともありました(笑)。ちょっと使いすぎなくらい、使っています。

私は音大に入りたての頃、周りに伝えることに抵抗がありました。

むしろ、「私は左耳聞こえないんだから、私より聴音できなかったら恥ずかしいよ」っていう感じで言ってました。和音の聴音は苦手だったけど、できなかったら逆に難聴のせいにして(笑)

難聴でなくても、聞き取りにくさを感じる方はいるので、一概には言えませんが…。それくらいオープンだと、周りの方は「聞こえるポジション」などよくご理解がありそうです。

私の周りの人は、ごく自然に対応してくれます。例えば、ご飯を食べるとき。自然に私が一番左側の席になり、右側・前に人がいるようにしてくれます。ポジション取りのために動いても、変な目で見られることはありません。

逆に、学校で音楽を教えるときに片耳難聴がネックだと感じたことはありますか?

吹奏楽部の指導で片耳難聴を気にすることがあります。「片耳難聴があるからといって、指導者として劣っているわけではないし、良い成績を出すことだけがゴールではない」と分かっていても、生徒たちに申し訳なくなることがあります。小さな吹奏楽部の顧問をしている今ですら気になるので、コンクールに出場するような、大きな吹奏楽部への配属を不安に思っています。

例えば、地域で吹奏楽部を応援してて、みたいな学校があります。保護者からの期待もあり、子供からの期待もありっていうときに、片耳難聴がネックになるんじゃないかなと心配しています。

逆に、受け入れてくれたらいいんですけど、「ええっ片耳聞こえないの、しかもなんか若い先生だし、片耳聞こえないなんてもう俺ら終わったじゃん」みたいな感じでがっかりされないか。「いや、そこじゃない」って思ってるんですけど。私は音楽に優劣をつけることがあまり好きではないし。でも、もしかしたら、その学校では開示できなくなるかもしれないです。

私も教育実習で吹奏楽部の指導の場面を見て、ちゃんと教えられるのか不安に思った覚えがあります。

そうですよね。だから、私は学校の業務割り振りでは、部活と音楽科教育は分けて欲しいっていうタイプです。

でも、私は諦めきってはいません。音の細かい判別は私たちには難しいかもしれませんが、立体的に聞こえていなくても、全体として聴く分には関係ないかもしれないじゃないですか。

なので、片耳難聴では両耳が聞こえる人と比べて音楽の聞こえがどの程度違うのか、ということに凄く興味があります。

作品が伝えたい想いや、演奏の良し悪しなど、音楽の大事な要素は片耳難聴があっても感じ取れるはずです。両耳が聞こえている人と比べて、細かい部分では少し違う聞こえ方だったとしても、そこを補うような聴き方や工夫は必ずあると思います。
本日は貴重なお話をありがとうございました!

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