片耳難聴と “音の方向知覚”

Written by 佐瀨文一


この記事では、ヒトが音の方向を知覚するメカニズム片耳だとなぜ音の方向がわかりづらいのか、それはどうやったら改善できるのかを解説します。

ご自身も片耳難聴があり、音の方向知覚について専門的に研究されている佐瀬文一さんに記事を執筆いただきました!

執筆者プロフィール:
佐瀨文一
東京都立大学大学院電子情報システム工学域博士後期課程在学中。幼稚園の頃、左耳に難聴が発覚。「自身が片耳難聴であるからこそ、発見できることがあるかもしれない」と、現在、片耳難聴における音の方向認知の困難についての改善を目指し、研究テーマ「片耳難聴者の音空間知の解明と最適補聴システムの実用化」に従事。

呼ばれた方向が分からず、キョロキョロするイメージ

片耳難聴のある人が普段の生活で抱える困難の1つに「どこから音がするのかわからない」ということがあります(参考:「片耳難聴が聞こえにくい理由(両耳聴効果について)」 )

たとえば私は、自転車や車がどこから来るのか分からなかったり、どこから呼ばれているのかと相手を探したりすることがあります。
また、ゲーム内では、両耳が聞こえる人はステレオイヤホンを使用すると左右に入ってくる音の違いによって敵がいる場所を見分けることができますが、片耳難聴の場合は分からないことがあります(参考:「片耳難聴だと困る場面」)

1.音の方向を知覚する “手がかり”

片耳難聴のある人の音の方向知覚をひも解く前に、両耳が正常に聞こえる人の方
向知覚について紹介します。

ちょっと遠回りにも感じるかもしれませんが、両耳が正常に聞こえる人の方向知
覚のメカニズムが、片耳難聴のある人の音の方向知覚のメカニズムの解明とその改
善に役立つことになります。

生活の中で意識することはほとんどないかと思いますが、両耳が正常に聞こえる人は、左右の耳から得られる情報を活用して音の方向を知覚することができます。

音の方向を知覚する手がかりは、次の3つと言われています。

  • 両耳間時間差 
  • 両耳間音圧差
  • スペクトラルキュー

これらの手がかりは音が到来する方向によって、役割が分かれています。

水平面の音の方向知覚「両耳間差(りょうじかんさ)」

水平方向(左右)の音の方向知覚には、図1で描かれている

  • 左右の耳に入る音の時間の差
  • 左右の耳に入る音の音圧差(音の大きさの差)

という2つの「左右の耳に入ってくる音の差」の情報が、手がかりとして利用されています。

この時間と音圧の「両耳間差」の情報を利用できないことが、片耳難聴がある人の音の方向知覚を困難とさせる原因です。

図1:音の方向知覚の手がかりのイメージ

さて、両耳が正常に聞こえる人にとって、両耳間差は水平(左右)方向の音の方
向知覚には役立ちますが、
両耳間差は等しくなってしまう前後上下からの方向知覚では役立ちません。

この面は正中面(せいちゅうめん)と呼ばれます。
正中面とは、ヒトを左右対称に半分にするような面のことです。(図2の青塗りの面)

例えば、正面前方から来る音と後方から来る音はどちらも両耳間差はなく、両耳間差の情報を使っての区別はできません。
しかし、ヒトは前後から来る音を区別し、音の方向を知覚できます。

前から来る音と後ろから来る音を、どうやって区別しているのでしょうか?

その答えは、音の音色の変化です。
これも生活の中で取り立てて意識している人はほとんどいないと思いますが、ヒトは前から来る音と後ろから来る音を「違う音色」で聴いているのです。※1音色

正中面の音の知覚「スペクトラルキュー」

ヒトの耳には耳たぶや耳介がついていますが、これは眼鏡をかけたりアクセサリーを付けたりするために発達したのではありません。

 図2:音の方向知覚の手がかりのイメージ。各周波数に対する音の大きさのグラフ(注2)

自分の耳を触ってみると、独特な形状をしていることがわかると思います。

人が音を聴くとき耳に到来してきた音は、この耳介(じかい)の独特な形状によって変化します。特に、その変化は音の到来方向によって大きく異なることになります。ヒトはその違いを「音色」の違いとして知覚し、正中面の音の方向を知覚することができるのです。

この耳の構造を由来とする音色の変化の特徴は「スペクトラルキュー」と呼ばれ、両耳が正常に聞こえる人の方向認知の3つ目の手がかりと言われています。※3

このスペクトラルキューが片耳難聴にとって重要になります。

なぜなら、音色の変化は片方の耳のみでも知覚可能だからです。
つまり、片耳難聴でもこのスペクトラルキューは利用可能であり、音の音色の変化を使って音の来る方向を認知できる可能性があるということになります。


  • ※1「音色」  
  • 日常で私たちが聞く音には、さまざまな高さの音が含まれています。同じ “ラ” の高さに聞こえる音であっても、その他の様々な高さの音がどのくらい含まれるかによって聞こえ方は異なります。これは「音色」の違いの一つと言えます。
  • 例えば、クラリネットとトランペットで同じ高さの音を演奏しても聞こえ方が違うと思います。楽器によって同じ高さの音でも含まれている音の成分が異なるのです。この違いが「音色」の違いです。
  • ※2「周波数」
  • 私たちが聞いている音は、空気の振動です。この振動の回数(1秒間に何回振動するか)は「周波数(振動数)」と呼ばれます。周波数が大きいと、私たちは高い音と感じます。
    音の特徴を解析するときには、音の波形を分解し、音を構成している周波数ごとの成分に分けることがよくあります(このようにして分けたものを「音のスペクトル」という)。
    このような方法で、音色の違いをグラフにして分析することができます(図2)。
  • ※3「スペクトラルキュー
  • 耳介の特徴的な形状によって、音は到来方向ごとに周波数が強められたり(ピーク)弱められたり(ノッチ)して音色が変化します(図2)。
    その音色の変化のうち、音の方向知覚の手がかり(キュー)として利用されるものを「スペクトラルキュー」と呼びます。

2.片耳難聴の音の方向知覚

一般に、片耳難聴では音の方向知覚は困難とされていますが、実際にはどうでしょうか。

音の方向認知実験

ヒトの音の方向知覚能力を調べる方法として、音の方向認知実験があります。オージオグラム(聞こえの程度を表す表)を作成する聴力検査の経験はあると思いますが、方向知覚の検査をしたことがある人は少ないと思います。

音の方向認知実験は、対象者の周囲に配置したスピーカからランダムな順番で音を示し、対象者は知覚した音の方向を回答するという実験です。 

●両耳が聞こえる人の実験結果

図3:両耳が聞こえる人の実験結果

両耳が聞こえる人の結果は、図3の右のグラフのように示されます。

  • 横軸:音を示すスピーカの角度
  • 縦軸:被験者が回答した角度
  • 赤丸の大きさ:回答数

つまり、右上がりの対角線上に回答が集中していれば、音の到来方向を正しく認知しているということになります。

両耳が聞こえる人の例では、すべての試行で音の方向を正しく認知していることとなります。

●片耳難聴のある人の実験結果

東京都立大学では、片耳難聴のある方を対象に音の方向認知実験を実施しています。

片耳難聴の場合の実験結果を、難聴耳の聴力レベルの程度ごとに見てみましょう。

図4:片耳難聴のある人の音の方向認知実験の結果
右耳軽度難聴者(左図) 左耳高度難聴者(右図)

<軽度難聴の場合>
図4の左の図は、難聴耳の聴力レベルが比較的軽度の人の結果です。

このグラフを見ると、この軽度の片耳難聴のある人は、両耳が聞こえる人と同じくらい精度よく正解していることがわかります。

聴力レベルが軽度~中等度であれば、音の方向知覚については問題が少ない可能性があると言えます。

これは、難聴耳の聴力レベルが軽ければ、正常に聞こえる耳と聞こえにくい耳の両方のから得た情報によって「両耳間差」を利用できている可能性を示しています。

<高度難聴の場合>
一方、図4の右のグラフは聴力レベルが高度の人の結果です。

このグラフを見ると、実験対象者の後方~難聴耳の左側(180度~270度)から到来する音について誤りが見られます。
ただし、正常に聴力側から到来する音に関しては精度よく回答されていると言えます。

この結果はどのようなことを示しているでしょうか。

聴力レベルが高度以上の難聴の場合、両耳間差情報の利用はできません。
しかし、両耳が聞こえる人が利用している音の方向認知の3つ目の手がかり、「スペクトラルキュー(音の音色)」は、片耳難聴のある人も利用することができます。片耳難聴においても、正常聴力側の音の方向を知覚できる例もあるのです。

なお、この他の片耳難聴の回答パターンとしては「聞こえる耳側に回答が偏る」「後方に回答が偏る」「全方向に回答がばらつく」などのパターンも報告されています。

3.音の方向認知の改善について

片耳難聴のある人の音の方向認知の改善には、どのような手段があるでしょうか。

難聴耳の聴力レベルが軽度~中等度の場合

音の方向知覚には、音の時間差と音圧差の「両耳間差」の情報が利用できるのが一番です。
そのためには、難聴耳の聴力レベルが軽度~中等度であれば、難聴耳に補聴器を装用する方法が考えられます(参考:「片耳難聴に使える補聴機器」

難聴耳の聴力レベルが高度以上の場合

難聴耳の聴力レベルが高度以上であれば、人工内耳(じんこうないじ)を利用する方法が考えられます。
ただし、人工内耳の活用には手術のコスト等がかかるため、ここでは手術を伴わない方法を考えたいと思います(参考:「人工内耳」

難聴耳の聴力レベルが高度以上の方も使える補聴器としては、CROS補聴システムが流通しています。難聴側で聞こえる音を、聞こえる耳で聞き取るための補聴器です。

CROS補聴器のイメージ

しかし、現状のCROS補聴システムでは音の方向認知に関する効果は期待できません。

左右の耳に入る両耳間差情報を利用できるようにならず、音色の特徴(スペクトラルキュー)が認知しやすくなるということもないためです。

高度以上の片耳難聴のある方が音の方向認知を改善するには、スペクトラルキューが重要です。
片耳のみでも、スペクトラルキューを音の方向認知の手がかりとして利用できます。

そこで今後、補聴システムにおいてもスペクトラルキューの知覚を積極的に利用する開発が期待されます。これが実現すれば、高度の片耳難聴のある人も手術のコスト無しに、補聴機器の利用によって音の方向知覚を向上させることができるかもしれません。

また他の方法としては、音の方向認知の改善に特化した訓練を行う手法も提案されています。

東京都立大学波動情報工学研究室では、片耳難聴の音の方向知覚の改善を目指し、片耳難聴者の音の方向知覚のメカニズムの解明とその応用についての研究を行っています。

一人の片耳難聴のある方の協力が、このメカニズム解明と片耳難聴のある方のQOLの改善につながります。「音の方向認知実験」について、実験に協力いただける方はこちらまでお問合せください。

音の方向知覚についてもっと知りたい方、意見交換してくださる方、実験協力についてまずは詳細を知りたい方もお気軽に上記URLへお問い合わせください。

著者紹介